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下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち



下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち
下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

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ではどうしましょうね

「この勉強をしてなんの得があるの?」と聞く子供、選択肢があるのにあえて
働かない・学ばないという道を選択したニートについて、「こういう考えで
彼らはこうしてるんだよ」と著者なりの考えが述べられている。

「本の紹介」にある通り、の専門は文学・思想史だ。ゆえに、実際に子どもや
ニートにインタビューしたうえでの分析ではなく、あくまで著者の知識をもと
にした仮説である。
著者の学問的な分析に対し、無知な自分は「なるほど」と思う部分も多かった。
しかし、それはあくまで著者の仮説である。著者も自覚されているが、解決へ
向けての処方箋が示されているわけでもない。ま、一般人はいろいろな考えに
触れた上で、問題解決のために何が必要か考えましょうということか。

なぜ自ら降下の道を選ぶのか

昨今、フリーターやニート(この両者は本来、別々に論べき存在であるが)に代表されるように社会的格差についての論説が花盛りである。そして、その原因の一つに挙げられるのが教育の問題である。本書は「学びからの逃走・労働からの逃走」を主題にして若者たちの新しいライフスタイルの解明に挑戦している。
講演を書籍化したと言うことで、精緻な議論や厳密な論拠があるわけではない。
だが、その分、論理性を高めるときに削ぎ落とされてしまう現実味が十分に生きている。

「受験に関する限り、学力がある必要はないんです。競争相手が自分より学力が低ければ、入試の選抜結果は同じですから」(P17)
「「不快」のカードを家庭内で一番たくさん切れるメンバーが、家庭内におけるリソースの配分や、決定に際しての発言権において優位に立つことができる」(P56)
「「自分探し」というのは、自己評価と外部評価のあいだにのりこえがたい「ずれ」がある人に固有の出来事だと言うことができます」(P72)
「「青い鳥」を探すのは悪いことではありませんけれど、みんながあ「青い鳥」を探しに出て行ってしまったら、あとの始末は誰がするのか」(P128)
「今している仕事で高い評価を得られない人が、他からより条件のよい仕事をオファーされるという可能性はあまり高くないでしょう」(P130)

個人的にはこのような「ぶっちゃけ」トークに近い部分に共鳴を抱いた。
実感として感じてはいるが厳密な論議には挙げにくい。ただ、やはりこのような実感から議論をスタートしていく必要はあるだろう。勿論、文中には厳密な議論も多く含まれている(というよりきちんとした論説が大部分である)。

非常に読みやすく、かつ昨今の主要な格差論をふまえた刺激的な論説になっている。
社会で起きている不可解とも言える動きを知るためには必須の参考文献の一つになるであろう。



事実確認を!

著者の言う「不快貨幣」云々は単なるアナロジーだ。
これを学力低下や格差社会の原因だとするのは大間違いである。
著者はニート論に関する基礎的な調査もしていないのであろうか、
サンプルとなる若者が他人の本の引用だったり、
自分のゼミの学生だったりする。
その人たちをその世代の代表であるかのように論じている。
明快な教育論の巨大な矛盾

内田樹氏の教育論。講演記録でもあり、読みやすく、また論旨も明快だった。ただ明快といっても、それは商品と貨幣の交換のような透明性に還元できない歴史や伝統や師弟関係という、いわば人間の不透明な根底の意義を再確認するというもの。つまり不透明なものの意義を明快に語るという意味での優れた教育論だった。ラカン『精神病』を引用して主張されるように、「人間は何かを見たけれどそれが何であるかを決定しないということができる」(23)(以下、カッコ内の数字は本書の頁数を示す)唯一の存在。この未知の存在に耐えるということは、ある意味で精神の強さでもあるだろう。それは人生や学問上のテーマあるいは難解な書物に取り組むとき、かならず必要とされる姿勢だからだ。

ところがテレビやゲーム機など現代の子供たちを取りまく環境は、その場で即座に把握できるもの、決して疑問を残さないものばかりだ。かりに疑問はあっても、そこに止まることは求められない。内田氏は「矛盾」という言葉を理解できない大学生との出会いから、これと同じような認識に至る。その大学生は、それまでに幾度となく「矛盾」という言葉に出会ってきたはずだ。しかし、彼(女)は、わからない言葉に出会っても、気に留めることなく記憶から消去してきたのだろう。このような学習姿勢から、「先生の言っていることが、私にはわからない」という「ふつう学生にとって自己評価が下がる」ような発言をする「小学生的」な学生たちが生まれてきた(19)。このような姿勢を生み出した最大の環境要因は経済社会の進展にある。「今の子どもたちと、今から三十年ぐらい前の子どもたちの間のいちばん大きな違いは何かというと、それは社会関係に入っていくときに、労働から入ったか、消費から入ったかの違いだ」(38)という指摘は卓見だろう。

すべてが経済的に数値化されるという社会のあり方は、教師の評価にも及んでいる。現在では、教師は教科知識や指導力によって格付けされる対象として眺められている。しかし、そもそも「教える/学ぶ」という関係は、そのようなあり方では成立しない。「学び始めたときと、学んでいる途中と、学び終わったときでは学びの主体そのものが別の人間である、というのが学びのプロセスに身を投じた主体の運命」(65)だからだ。

それでは本来的な師弟関係とは、どのようなものか。それを内田氏は映画『スターウォーズ』と『二十四の瞳』によって論及する。『スターウォーズ』では、「弟子の方がメンター(師匠)よりも腕前が上になってしまうという逆説が物語の縦糸になって」(177)いる。しかし、もしも弟子が「俺の方が才能がある。俺の方がもう師匠よりも強い」と言い出して、「弟子が師匠の持っている技術は自分のそれと比較考量可能であると考えたときに、師弟関係は破綻」(177)する。その結末は、どうなるのだろう。「アナキンに背かれたあとも、師匠のオビ=ワンの方はジェダイの〈騎士道〉につながっている。オビ=ワン自身の師匠のヨーダに対する深い敬意は少しも変わらない。だから、弟子のアナキンに離反されたあとも、オビ=ワン自身は成長を続けることができる。師を超えたと思った瞬間にアナキンは成長を止めるけれど、師は超えられないと信じているオビ=ワンは成長を止めない。」(179)こうして弟子のアナキンは師であったオビ=ワンに打ち負かされてしまう。

内田氏は、戦後日本人はアナキンと同じく師弟関係を計量可能なものと見なす誤った思考回路に陥ったのではないかと、指摘する。そして本来的な師弟関係を回復すべきだと主張している。それでは「人の師たることのできる唯一の条件」とは何か。それは、「その人もまた誰かの弟子であったことがあるということ」(178)につきる。「弟子として師に仕え、自分の能力を無限に超える存在とつながっているという感覚を持ったことがある。ある無限に続く長い流れの中の、自分は一つの環である。長い鎖の中のただ一つの環にすぎないのだけれど、自分がいなければ、その鎖はとぎれてしまうという自覚と強烈な使命感を抱いたことがある。そういう感覚を持っていることが師の唯一の条件だ」(178)と。その際に「弟子が師の技量を超えることなんかいくらでもあり得る(…)。そんなことあっても全然問題ではない。長い鎖の中には大きな環もあるし、小さな環もある。二つ並んでいる環の後の方の環が大きいからといって、鎖そのものの連続性には少しも支障がない。でも、弟子が〈私は師匠を超えた〉と言って、この鎖から脱落して、一つの環であることを止めたら、そこで何かが終わってしまう」(178)。

日本の現実は、どうだったのだろう。たとえば理想の教師のように思われている『二十四の瞳』の大石先生は、実際の映画では生徒が悲しいときにはともに泣く無力な一女性でしかない。しかし、そのような女性でも教師としての務めを果たすことができていた師弟関係が昭和初期までは社会的に成立していたという。(『二十四の瞳』の教師論については異論があるが、ここでは述べない。)

そして内田氏は、こう結論付ける。「教育を再構築するというのは、この師弟関係の力動性、開放性を回復することから始めるしかない。〈師弟の物語〉にもう一度日本人全体が同意署名すること。これはマインドセットの切り替えだけですから、コストはゼロなんです」(184)。教育論は人間関係論であり、その意味で本書の射程は広い。ただ最後に「マインドセットを切り替えるだけだからコストはゼロだ」という表現が飛び出すところに、どうしようもない違和感を覚える。師弟関係を計量可能なものと考える経済的発想に異議をとなえてきた本書の最後に、主張の有効性の理由として「コストはゼロ」だからと述べるのは、どういうことなのだろう。これは作者の失策というよりも、私たちが身をおく巨大な経済的環境と、そこで真の人間関係(教育)を培っていくことの大きな矛盾と困難を期せずして示しているのではないだろうか。

学習・労働意欲低減の原因を追究したユニークな説

 推敲を重ねた著作ではなく、著者の慨世の思いがほとばしる講演録を整理した本で、その軽妙な語り口が読者に親しみ易さを感じさせる一方で、論理展開の精緻さには物足りなさが残る。

 ユニークな主張がある。子供の学習意欲、若者の労働意欲が不充分なのは、決して怠惰なのではなく、学習や労働から遠ざかろうとする積極的な努力であるとする。貨幣経済の蔓延で即時(著者は「無時間」と呼ぶ)の等価交換が価値観の基準になり、就学前から子供は有利な交換条件を求める習性が身に付いている。学習や労働が「苦役の提供」と認識され、それに見合うメリットが即座に与えられないと感じる場合には、苦役の提供を制限することで取引価値が低いことを明示する努力をしているのだという。学習・労働を拒絶し「世におもねることなく自分の好きなように生きる」という美学が、中長期的には下流を志向しているというのが表題の趣旨である。

 確かに蓋然性はあるものの、俄かに100%は信じ難い、信じたくない気持も起こる。しかし説得力ある対案がある訳でもない以上、読者はこのユニークな説を充分傾聴し反芻するのが正当な本書の読み方であろう。



講談社
狼少年のパラドクス―ウチダ式教育再生論
先生はえらい (ちくまプリマー新書)
オレ様化する子どもたち (中公新書ラクレ)
街場の中国論
逆立ち日本論 (新潮選書)






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